こんばんは。
東京は寒暖の差があり、まだ安定しない毎日です。
●感情について
みなさんは、普段どんな感情を味わうことが多いか、意識していますか?
私は認識技術 nTech(エヌテック)に出会ってから、自分の感情に気がつくことができるようになりました。
●子ども時代
それまでの私は、自分がどのように感じているのかほとんど無意識で過ごしていました。
これは一見、落ち着いているように思えますが、深いところでは言葉にならない思いが沈んでいました。
自分の状態がよくわからず、正確な診断ができないため、あれこれやってみてずいぶん遠回りしてしまいました。
もちろんムダなことはひとつもないので、そのことを否定的に捉えていませんが。
私が育った家庭は、親からの締め付けがなく、怒られることもなかったため、何かを主張する必要性がありませんでした。
小学校にあがってからが大変で、自分の言いたいことは特にないし、クラスメイトと何かお喋りするイメージすらなく、交流できる状態ではありませんでした。
担任の先生からの通信簿のコメントは、いつも「おとなしい」。
おとなしいっていけないことのように感じて、活発な子にならないといけない、でもできない。
ひとりぼっちでいると見られるのは恥ずかしい、惨め。
だから、形だけは、クラスメイトの輪の端っこにいて、ただみんなの話をつくり笑いを浮かべながら聞いていました。
誰もわたしのことなんて気に留めない。
いてもいなくても同じ。
子どもの頃の自分を思い出すと我ながら健気で泣けてきます。
●おとなになると
大人になると、コミュニケーションの勉強をして、人と話せるようになり、友人もたくさんできました。
周りからは社交的な人と見られているようでした。
だけど、常に相手に合わせていたので疲れてしまい、うちに帰ってひとりになるとやっとホッとできました。
今思えば無理をしていたのですが、当時は気がついていなくて、何か釈然としない感情があるものの、それが何なのかは深く考えることはしませんでした。
●自分だけじゃない?
周りに気を遣い、相手を不快にさせないよう顔色をうかがう、自分がどうしたいのかなんて考える余地はありませんでした。
こういう人、特に日本人には多いのではないでしょうか。
いたらないのは自分、自分を責める
そして我慢し続け、ついに我慢の限界がきて
相手を傷つけるか、自分を傷つけるかしてしまう。
●なぜそうなるの?
なぜでしょうか?
人は自分の思う通りにしたい、だけど、できないことからくる諦め悲しみ怒りがわく。
結局、人と人とは分かりあえないのです。
自分の気持ちをわかってもらおうとしても無理なんです。
相手と自分が見ている世界はまるで違うのですから。
自分のことをわかってくれる、と、期待をするから裏切られたと勝手に思ってしまう。
●全ての始まりを知る
人間の意識から考えを出発させても、そこから答を得ることはできないのです。
そんなこといっても、頭で考えるしかできないですよね。
それでも意識の拡張を起こすことはできます。
まったく違うところからのアプローチをしない限り、今までの苦しみ悲しみ怒りを終わらせることはできません。
自分の考え感情は、どこから来るのか。
全ての始まりをわかること。
私はずいぶん回り道をしてしまったけれど、真理にたどり着くことができて本当によかったです。
●これから
生き方はいろいろ。
どれを選ぶこともできる。
私は時間をかけた分、スロースターターであるけれど、周回遅れでも、この出会った真理の道を歩き続けていきたい。
そして周りの人ともわかちあっていきたい。
ともにこの時代を生きる仲間として。
どうせ行く道なら工程を楽しく
ひとりじゃなくて、伴走してくれる仲間がいるといいですよね。
長くなってしまいました。
つれづれなるままに書いてみました。
おやすみなさい。