子供の頃、年末年始は祖母のうちに泊まりに行くのが恒例でした。
わたしの実家は九州の佐賀県、父は長男、
そして母は長男の嫁という立場。
今思えば、 母が年末年始のこの恒例の行事を楽しんでいたとは思えません。
大晦日は、母はずっと台所に立ちっぱなしで料理を作っていました。
それは元旦になっても続き、母がゆっくりこたつに入っている姿など見たことがありませんでした。
大正生まれの祖母はとても気丈で、母には厳しく、
父と母が結婚した当時は同居生活で、
母は妊娠中も家事に終われ大変だったと聞かされていました。
こんな話、珍しくないですよね。
その祖母は戦争未亡人、職業婦人として女手ひとつで3人の子を育てました。
終戦後の日本を想像すると、どんなに大変だったことでしょう。
若くして夫を亡くし、それでも生きていくために必死に働いた祖母。
甘えることなど到底できなかったでしょう。
そう考えると、祖母が母に厳しかったのもわかる気がするのです。
祖母にしてみれば、
世の中が平和になり、時代は高度経済成長期、
物がどんどん生産され、豊かになり、
自分の若かった時の戦時中と比べると
なんと恵まれていることか、と思ったことでしょう。
母にとっては厳しく思えても、祖母にとっては
当たり前のことだったのではないでしょうか。
戦中、戦後、
日本の母たちは、最愛の夫や息子を戦争で亡くし、
どんなにつらく、悲しかったことか、
それでも懸命に生きていくしかなかったのです。
そして時代背景がどれほど人に影響を与えるか、
わたしは今まであまり考えたことがありませんでした。
祖母の涙、母の涙
それは間違いなくわたしのDNAに深く組み込まれ、
今は亡き祖母と母の想いは、わたしの中に生き続けているのです。
大晦日
明日から新年が始まります。
おばあちゃん、お母さん、
どうぞ安らかに。