CREATIVE LIFE ~今ここを生きる~ 0=∞=1

自分を決めつけるがんじがらめの人生から、常に今ここ再出発できる CREATIVE LIFEを創っていきましょう

映画 『西の魔女が死んだ』から シンプルな生き方へ

 こんにちは。

 

今日は映画についての考察を書きたいと思います。

 

西の魔女が死んだ

小説:梨木香歩

映画:2008年6月公開

 

【ストーリー】
中学に進んでまもない夏の初めに、学校へ行けなくなったまいは、森で暮らす“西の魔女”のもとで過ごすことに。西の魔女とはまいのママのママ、英国人の祖母のこと。大好きなおばあちゃんから「早寝早起き、食事をしっかりとって、よく運動し、規則正しい生活をすること」の大切さを教わる。そして何より一番大事なのは「何でも自分で決めること」だった。まいは戸惑いながらも、料理、掃除、洗濯、庭づくり・・・と、毎日励んでいく。実はその生活は、“魔女修行”の始まりだった。大自然の中で暮らす日々の中で、まいは“楽しく生きる力”を取り戻していく・・・。

引用 Amazon

 

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出典:Amazon

Amazon | 西の魔女が死んだ [DVD] | 映画

 

気になったもののそのままにしていることって結構ありますよね。

この映画もそのひとつ。

やっと視聴できました。

 

いくつかの観点から考察して、下記3つについて今日は語りたいと思います。

 

1.多感な少女の感性

2.周りに合わせること

3.愛情表現とは

 

1.多感な少女の感性

12~14歳の頃って一番多感な時期かなと思います。

映画のなかでも主人公まいの、傷つきやすさ、敏感さ、潔癖さ、頑なな正義感、

などが出てきます。

えっ!こんなことでも傷ついちゃんうんだ、と大人目線では思ってしまうけど、

自分自身のことを振り返っても、頑なな正義感など、この時期は許せないことが

たくさんあったなぁと思い出しました。

 

2.周りに合わせること

主人公まいは、クラスで孤立していました。

周りに合わせることをやめたらそのうち孤立しちゃったって。

そして、学校は苦痛を与える場所だから、と学校へ行くことをやめる決断をし、

それを母親へ伝えました。

この年代の少女たちには独特の仲良しの掟があって、集団行動できない子は

輪から外れていきます。

外れた子と仲良くすると自分も輪から弾かれてしまう恐怖から、勇気を出して

まいへ話しかける子はいません。

これって私の幼少期(昭和50年代)から今も変わりないのだろうなと

推測できます。

私はまいほどの勇気はなくて、かろうじて輪の端っこにいて、ただ愛想笑いを

浮かべて、孤立しているように見えないように必死な小学、中学時代でした。

学校へ行かない選択の発想さえない時代でした。

今だったら、私も学校へ行かないことを選択したかもしれない。

勇気のない私だったけれど、今はそんな少女の自分を抱きしめてあげたい気持ち。

 

 

3.愛情表現とは

 

まいのおばあちゃんはイギリス人。

まいが「おばあちゃん大好き!」と言うと

おばあちゃんは、ただ一言 「 I know 」と言います。

「Me too 」じゃないだ、、、

好き、と言われると、私もよ、と日本人なら答えるのでは。

これはおばあちゃんがイギリス人だからなのか、魔女だからなのか。

おばあちゃんがまいのことをどんなに心配して愛しているか、尊重しているか、

は映画を通してじゅうぶん伝わってきます。

I know 」に込められた愛情表現にうなりました。

 

ただ、受け止める

 

これは意外に難しいこと。

 

相手の気持ちを受け止める。

 

必ずしも言葉で返さなくてもいいんだ。

 

まだ咀嚼できていないけれど、おばあちゃんの人との接し方には

常に一定の揺らがない姿勢があると感じました。

 

 

まとめ

 

そんなおばあちゃんですが、まいの発言に思わず手をあげてしまい、ふたりは

疎通できないまま別れの朝を迎えてしまいます。

まいの母親にふともらした、自らのことを 「Old fashionよね」という、おばあちゃん

らしくない弱気な発言。

そして2年後、まいのおばあちゃんとの再会は。。

(これはネタバレになるので秘密)

 

おばあちゃんは正真正銘の魔女だったらしいのですが、映画の中で

おばあちゃんが魔女らしいことをする場面はひとつもありません。

魔女らしい、というのも勝手なイメージですが。。

ほうきに乗って空を飛ぶとか(笑)

 

森の中の英国式の素敵な一軒屋で、

畑でとれた野菜を食卓に並べたり、

鶏の卵をとってきたり、

ベリーを摘んでジャムを作ったり、

ハーブをお茶にしたり、

白いシーツを洗ってラベンダーの上に広げて干したり、

窓辺の木のテーブルでお茶したり、

森の中を散歩したり、

うっとりするような場面がたくさん出てきます。

 

まいがいなくなったあとも、おばあちゃんは毎日同じ生活を繰り返していたのでしょう。

隣人を敬い、自然とともに規則正しく暮らすシンプルな生き方

ただ淡々と。

おばあちゃんはきっと人の心が視える魔女なのでしょう。

すべてを達観していたような。

 

映画を見終わって、なぜこの映画の場面に引き込まれるのか、私自身の中を

探ってみると。。

シンプルに生きたいのだと思いました。

物事や人間関係を複雑にさせているのは自分の認識であることは間違いない。

日常、その複雑にさせている自分の認識に嫌気がさしている。

 

 

シンプルな暮らしに憧れるのは、シンプルな思考方式(認識)への憧れでもある。

それがわかってよかった。

 

認識の変化は日々の実践で養われるもの、

まいがやったような魔女修行だと思ってやっていきますかね。

 

今日はここまでにします。

お読みいただき有難うございました。