CREATIVE LIFE ~今ここを生きる~ 0=∞=1

自分を決めつけるがんじがらめの人生から、常に今ここ再出発できる CREATIVE LIFEを創っていきましょう

自分探しの旅は続く(4) 「会話できない小学生」

「子供時代」

を思い返すと、

「会話の少ない家庭」

だった。



母は物静かなひと。

専業主婦で、

うちの中にいて

本を読んだり、

絵を描いたり、

手芸をしたり、

が好きな人だった。



「勉強しなさい」

とか

「あれしなさい」

「これしなさい」

「早くしなさい」

とか、

「言われたこと」

何かで

「怒られたこと」

もない。


当時、母と

「どんな会話をしていた」

のか

あまり思い出せない。




【会話】には種類があって、

おおまかに分けると、


1. 用件を話す(連絡や報告など)

2. 出来事や体験について話す

3. 自分の考えを話す

4. 自分の気持ちを話す


などがあるけど、

この中で、

3. 「自分の考えを話す」

は、ほとんどやっていないと思う。



4. 「自分の気持ちを話す」

にいたっては、

「皆無」

に近い。




母と家庭で

「会話の練習」

をしてこなかった

「ツケ」

は、けっこう大きくて、

わたしの小学校時代は

「暗黒」

だった。


だって、

クラスメイトと

「会話できない」

んだもの。


「何を話せばいいのかわからない」

「会話するイメージが無い」

し、

何か言われても、

「何て返せばいいのかわからない」

し。


それで、

「わたしはわたし、それでいいのよ」

って、居直って

「孤高の道を行く」

のならいいけれど、

そんな度胸も強さもなく、

「ひとりぼっちでいるのをみられるのが嫌」

で、

無理して、

クラスメイトの輪の端っこに入って、

みんなのおしゃべりを

ただ「作り笑い」して

うなずきながら聞いていた。

ちっとも楽しくなかった。


その後大きくなるにつれ、

だんだんと会話する技術は

身につけていったけど、

「わたしってダメだなぁ感」は抜けなかった。


会話できないのは、

「家庭でその練習をしてこなかったから」

それもあるだろうけど、

もっと深いところの、「原因」がある。

それを知ることになるのは、

ずっとあとになってからだった。