CREATIVE LIFE ~今ここを生きる~ 0=∞=1

自分を決めつけるがんじがらめの人生から、常に今ここ再出発できる CREATIVE LIFEを創っていきましょう

母の日に寄せて

こんにちは。

今日は母の日ですね。

街のお花屋さんの前を通ると

たくさんのカーネーションが目に入ります。

日本中で、

お母さんへの感謝の気持ちが溢れる一日と思うと感慨深いです。

 

母を思い出すにはちょうどよい日。

当時のことを振り返ってみたくなりました。

 

母が逝って19年になります。

あらためてそんなに経つのかとびっくり。

 

当時のわたしは母危篤の知らせを受けると

東京から田舎へ飛んで帰り

容態が落ち着くと東京へ戻りを繰り返していました。

 

母は仕事が忙しいわたしを気遣って、

「帰ってこんでいい」と

いつも病院のベッドの上で言ってました。

 

もちろんそれは母の優しさであり

強がりであることはわかっていました。

 

いつも後ろ髪を引かれる思いで電車に乗り、

福岡空港から飛行機に乗り込むまで

いま、また容態が悪くなったと知らせがきたらすぐに引き返すのに、と

携帯電話をギリギリまで見つめていました。

 

夜遅く羽田に着いてモノレールに乗り込み

どうして自分は先の短い母を置いて

東京で仕事を続けているのだろうと

泣き崩れたことを思い出します。

 

母が逝ったら後悔することはわかっていたけれど、

母より仕事を選んだ自分を自覚し

死に目に会えないことを覚悟していました。

 

母の最期の日は

昼間に父より電話が来て会社からそのまま羽田へ向かい病院へ。

 

翌朝 母は逝きました。

 

その時は悲しみもあったけれど、

病気で苦しい思いをしていた母が

やっとらくになれたのだと

ホッとする気持ちがありました。

 

それが週中で

週末にお通夜、葬儀を終え

日曜夜に東京へ戻り、月曜から出社しました。

 

兄がしばらく実家に泊まり込み

父と一緒にいてくれ、

父が母と出逢った頃の話や

二人で母の思い出話をしていると聞いて

すごく羨ましかった。

 

あぁ、しばらく休みをとればよかった。

 

感慨にふけるヒマもなく日常に戻ってきて

なんだかちゃんと母にお別れができていないような

そんな気持ちが数年続きました。

 

あの頃の自分の選択はどうだったのだろう。

 

母の生前

仕事を休んでしばらく母のもとで過ごすことはできたかもしれない。

 

でもそれをやったとして母が喜んだだろうか。

なにより自分のことで子供に面倒をかけることを気にする母だった。

 

そしてわたしは弱っていくだけの母を

そばで見続けることに耐えられたかどうか。

 

もっと母と話をしたかった。

その後悔の気持ちはいまでもある。

 

遡れば

母がまだ元気だった頃

いくらでもその機会はあったのに。

 

母がどんな思いで家族のために尽くしてきたか。

 

もはや想像の世界でしかないけれど、

ただただいまはもう

感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

人は

大切なことを日常で自覚することは

注意していないと難しいもの。

 

忙しく目の前のことに意識はいき

大切なことは当たり前の中に埋没して観えなくなる。

 

そして、失って初めて気がつく。

 

どんなに大切なものも

形あるものはいつか失くなる。

 

悲しみを受け入れることは大変だけど

それを乗り越えていく過程に

人としての凛とした美しさを感じる。

 

悲しみを知った者は強くなれる。

 

いま悲しみの渦中にいるひとたちが

再び笑える日がくることを願っています。